仏教は他の2大宗教(キリスト教・イスラム教)と違い、唯一神としませんでした。また、広義の解釈を認めました。「方便」という考え方です。
「方便」とは嘘も方便という使い方をする方便です。平たく言えば、根拠のない理屈を並べて勝手な解釈をしてもいい。ということです。特に日本では、古代から神は唯一絶対神でない自然や自然現象に各々神(八百万の神)として畏怖していましたし、日本人の特徴として論理追求重視でなく、曖昧なものを許す傾向から、勝手な解釈出来るのは好都合だったわけです。
そして、聖徳太子の時代に十七条憲法で、ほぼ国教と認められ救済仏教(大乗)として広まることになります。しかし、十七条憲法では"篤く三宝を敬え"程度しか記述していません。
ではこの頃の日本仏教はどんな形だったのでしょう。
仏教は、シルクロードを経て隋・唐から、また朝鮮半島(百済)から日本に輸入されますが、この頃の仏教は宗教というより学問としてのものでした。大和朝廷の豪族蘇我氏が仏教を信仰したというのは史書にもありますが、渡来系の人々が中央の有力者に紹介して研究対象になった程度のようです。
もちろんこれでは宗教ではありませんし、広く人々を救済する目的には達していません。
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