Nishiakashi’s Blog

徒然なるままに。。教えられること多し。

本覚思想

 "人はもともと仏になれる素質がある(如来蔵)"平安初期に最澄が主張しました。その後の日本ではこの思想が発展して、天台宗においては本覚論(本覚思想)と呼ばれるようになりました。「本覚」とは如来蔵より大胆に、"人間はあるがままの姿で既に悟りを開いている"それどころか草や木も成仏していると考えることです。

 日本での本覚思想の源流は中国にあります。
 インドでは修行によって悟りを求めることが主流で如来蔵を認める少数派もありました。しかしそれは有情のもの(心を持つ生物、人間・獣)にしか存在しない。非情のもの(心を持たない生物、植物)には認めなかった。しかし中国では草木にも如来蔵を認め、仏の前では生物はみな平等だという考え方に発展します。本覚思想が強化されたわけです。
 当時日本では、比叡山天台宗がこの本覚思想を正しい仏教の在り方として広く教えていたと言う事実があります。法然親鸞栄西道元らはともに比叡山で仏教を修めた僧なのです。彼らはむしろ本覚思想を克服することを意識しました。したがって、念仏(浄土系宗派)も禅(禅宗)も同じ土壌から出来上がっていったものなのです。

 中世の文芸では「草木国土悉皆成仏」という語句が常用されます。この意味は"草木も自然もことごとく皆成仏している"という意味で、日本型本覚思想の究極の形です。
 つまり神道で言うところの"自然界すべての物に神々が宿っている"と非常に酷似しています。これは後に日本神道として確立されますが、古来からある日本人の考え方です。本覚思想は日本風土に違和感なく溶け込む要素を持っていたことになります。

■ 関連図書

茶の本 日本の目覚め 東洋の理想―岡倉天心コレクション (ちくま学芸文庫)

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