Nishiakashi’s Blog

徒然なるままに。。教えられること多し。

臨済宗(栄西)

 入宋し臨済宗を学んだ栄西天台宗延暦寺の僧です。そのため、確かに臨済宗を持ち帰り広めたのは栄西ですが、日本臨済宗開祖というより、天台宗禅派の禅宗僧というほうがぴったりかも知れません。

 当時は末法思想が流行し法然浄土教を確立した頃です。法然が旧仏教派から弾圧されたように、栄西も弾圧を受けました。しかし栄西は政治的手腕を持ち合わせていました。朝廷貴族が旧仏教(南都系・天台系)を支持しているために、新興の鎌倉幕府に接近しました。
 「興禅護国論」*1には、その題名の意味では"禅によって国は護られる"となるが、仏教他宗派を否定しているわけではなく、仏教によって国を統治すべきであって、その中でも禅の教えが重要だとするにとどめています。
 そんなわけで、栄西鎌倉幕府の支持を得て、京に建仁寺を建て臨済宗発展の基礎とします。その建仁寺臨済宗の寺というだけでなく、天台・真言の三宗兼学の寺院として建立。後に建仁寺は京五山に指定されます。
 同時期の法然親鸞に繋がる浄土宗が個人の救済を説いたのとは異なり、栄西臨済宗は国教を目指しました。という意味で栄西は宗教家・布教家ではなく、政治家色が濃い僧侶と言えます。事実、武家社会の政治顧問は臨済宗の僧が掌握していきます。

■ 関連図書

栄西 喫茶養生記 (講談社学術文庫)

栄西 喫茶養生記 (講談社学術文庫)

*1:喫茶養生記栄西の著書のひとつ。嗜好品(薬)であった茶の効用を説いたもの