Nishiakashi’s Blog

徒然なるままに。。教えられること多し。

親鸞と浄土真宗

 法然の弟子親鸞は、法然の思想の危険な部分(専修念仏・他力本願)を強調した思想を展開します。そして一切の戒律や修行をも捨ててしまいます。
 親鸞の思想として有名なものに、「歎異抄」にある"善人なおもて往生を遂ぐ、況や悪人をや"(悪人正機説*1)として説明される。この意味は、善行を行い修行によって浄土へ往けると信じている人がいるのだから、難しいことはわからない人でも、単に阿弥陀仏を信じることで浄土へ往くことが出来るはずだ。ということ。

 親鸞は生涯法然の弟子として活動しました。また自身弟子を持たなかったこともあって、教団として宗派を形成することもなく、この時代埋もれた存在になっていました。その後、蓮如という布教家が本願寺宗教勢力を築くまで。
 親鸞の娘の覚信尼本願寺家)から3世覚如が、親鸞の廟堂を本願寺として掲げます。それから8世蓮如の時、戦国の一大勢力本願寺教団(自治勢力)として大成します。
 本願寺浄土真宗一向宗)は親鸞直系の家系を持ちます。僧侶の家系?とは変です。そう親鸞は公式に妻帯して子を儲けた僧なのです。僧侶は妻を持ちません。と言うより仏教僧には女戒の掟が常識なのです。捨戒した親鸞には、女犯の罪など関係のないことなのでしょう。

 法然親鸞は偉大な仏教僧と後世に語られています。思想的(浄土門*2)には隙があって大成の域には達していませんが、既成の日本仏教の概念を打ち破ったことは確かです。そして今後、仏教は教団(寺社荘園・寺社町とは違い、同じ思想を共有する集団)というものを形成していくように発展していきます。

 真宗専修寺
 親鸞が関東布教の拠点とした根本道場を起源とする。
 代々法主は、親鸞から直伝の教えを授かったとして、信徒を集め教団を形成する。関東中心に最大時には北陸・東海まで勢力を拡大する。北陸で蓮如率いる本願寺と対立し(加賀一向一揆の要因)、その後衰退する。真宗高田派

 真宗仏光寺
 親鸞法脈7世の了源の時、真宗(後の仏光寺派)として拡大する。
 了源の採った方法は、極楽往生名簿を作成し任命権を作ったこと。信徒になるには、言い換えれば阿弥陀の教えで往生するには、仏光寺派の僧から認められ名簿に名が記載されればいい。としました。これによって爆発的に信徒を増やし、当時浄土真宗と言えば仏光寺派のことを指したようです。14世経豪が本願寺に転向帰依し衰退。

■ 関連図書

親鸞の告白 (小学館文庫)

親鸞の告白 (小学館文庫)

*1: 悪人正機の言葉は、親鸞でなく法然の言葉ではないかと言われている。

*2:他力本願を重視し浄土の教えを説く浄土門、これに対し少しでも戒律・修行を用いる仏徒を聖道門という。