ちょうど平安中期くらいに末法思想が流行します。
釈迦入滅後、千年は正法(正しく教えが伝わる)、次の千年は像法、さらに千年は末法になると言い、末法の世では釈迦の教え仏法の効果がなくなると信じられていました。
これによって、仏教は知識層(天皇家・貴族)から、学問としての研究対象の意識が薄れ、また国家鎮魂という存在意義も失ってしまいました。そこで発展していったのが浄土教です。
浄土とは、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)輪廻から解脱して仏となり、住み処とするところ"浄化された世界"のことである。薬師如来の浄土を瑠璃光浄土、特に阿弥陀如来の浄土を「極楽浄土」という。本来、如来の数だけ浄土があるはずで、法華経・密教などではいちいち名付けないし意味も持たない。重要なのは、いかにして解脱して悟りを開くかであるから。
しかし浄土教では、阿弥陀如来の四十八の誓願のひとつを捉えて、"ただ十回念仏すれば極楽浄土へ往ける"を重視した。この誓願のことを本願ともいう。
ここに源信という天台宗の僧が登場する。
源信は「往生要集」で阿弥陀仏の極楽浄土へ往生するには、観想念仏*1によりその極楽浄土のあり様を思い浮かべることが大切だと説いた。その極楽浄土を地上に再現しようとしたものが、藤原摂関家が建立した宇治の平等院である。しかし現存する建物は鳳凰堂(阿弥陀堂)のみ。
同じ天台僧の良忍は「称名念仏」*2を説いた。ただ"南無阿弥陀仏"と唱えればよいとする「大無量寿経」の教えに重点をおいたものだった。これはその後、法然によって浄土宗として大成します。
空也に触れなければなりません。源信・良忍より先に活躍した僧で、口称念仏を広め諸国を行脚したと言われる人です。この時期、末法思想の流行もひとつの要因ですが、民間に下り仏教を広めた高僧であったと言えます。
日本人は表す(言葉・文字)と現実に起こる。という意識を持った民族です。そして繰り返すことによってそれは強調出来る。ので、"南無阿弥陀仏"と繰り返して唱えれば浄土が実現する。っていうのは実に日本的なことなのです。
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